宗教・信心とはどういうものか?

 信心は、人生をとおして必要なものです。
 「宗教、信心はなくても人は生きていける」と言う人がいて、実際にそのような生活スタイルをとっている人がたくさんいます。たしかに、目に見えるものは信じやすいが、目に見えないものは信じにくいものです。
 自分のいのちを支えるためには、息を吸ったり吐いたり、心臓が鼓動したりと、これらのはたらきが、無意識のうちになされています。いのちの営みには、人間の力の及ばない不思議なはたらきがあるのです。食物一つをとってみても、人間の力だけで作りだしたものなど、何一つありません。また、人生は、いわゆる五官で感じられることの他に、愛や思いやりや真心などといったものや、天地の間のさまざまな不思議なはたらきがあって成り立っているのです。
 人間のいのちと生活とは、人間をはじめ万物を生かそうとする大いなる意志と、確かなはたらきとによって営まれていて、人間だけでなく万物も同様のはたらきを受けているのです。その大いなる意志とはたらきを、金光教では「天地金乃神」と称え仰いでいます。そして、天地金乃神様のはたらきが現れる場が「天地」なのです。
 人間は、天地金乃神様から、たましいと肉体とを授けられ、この世に生まれているのです。人が本当の幸せを得、みながともに幸せになる世界を生みだすためには、こうした目に見えないものも大切にしていかなければなりません。

 天地の恩恵を忘れ不幸を生みだす

 この天地自然の恩恵を忘れた「自分の力だけで何でもできている」というありかたが、多くの不幸を生みだしています。日常の一つひとつが自分の思いどおりにならないことに対する不平不満、将来への不安、心身の病気、家庭の不和、仕事の行き詰まり、果ては環境破壊、差別、戦争に至るまでのさまざまな問題はこうした自分勝手なありかたから生じているのです。

 天地との関係を確かなものに

 人は、だれでも幸せになりたいと願っています。また、神様は、私たち人間に、いのちを授けた親として、何としてでも助かってもらいたいと願っておられます。
 金光教は、天地の恩恵を忘れた人々が、天地と人とがともに生きるあり方を取り戻し、神と人とが相かかわり合って立ち行く世界を実現したいとの、天地金乃神様の願いを受けられた教祖生神金光大神様によって、この世に出現しました。
 金光教は、助かりたいとの人の願いを神に、助かってほしいとの神の願いを人に伝える「生神金光大神取次」によって人々を救い助けます。
 私たちは、この生神金光大神取次によって、人間は天地のなかで生かされて生きている存在であるという「天地の道理」を伝えられ、天地と人とがともに生きるあり方を取り戻すことができるようになるのです。

 私たちも神様から願われている!

 すべての人間は、等しく神心を与えられて、天地の間に生かされている神のいとし子であり、神と人間とは、人間あっての神、神あっての人間という「あいよかけよ」の関係にあり、その関係は、人間と人間、人間と万物との間にも生みだされていかなければならない、と教祖様がお示しくだっています。
 教祖様は、多くの人々を救い助けてこられましたが、その教祖様は、ご自分だけではなく、だれでも同じはたらきを現すことができるとおっしゃっています。
 それは、人はみな神様から神心(神の分けみたま)を分け与えられて、この世に生まれてきているからです。たとえば、困っている人を見て、かわいそうにという気持ちになると、これがすなわち神心のはたらきであり、だれもがこの神心を授かっているのです。
 人間はだれもが、生神のはたらきを現し、他の人を助け、自らを救っていくという、尊い使命を神様から託されているのです。

 信心を進めて求めること

 私たちは、生神金光大神取次を頂き、天地のはたらきを感じ、神様との関係を確かなものとし、神様のおかげのなかで生かされている喜びを確かめ、自分とすべての人の助かりを願う生き方を求めていきます。
 信心を進める私たちは、こうした神様の願いである人を助けていくという生き方を進め、自分とすべての人の豊かで幸せな人生が生みだされ、神と人とがともに助かり立ち行く世界をめざしています。

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