金光教
金光教の教祖は1814年(文化11年)9月29日、現在の岡山県金光町に農民香取十平・しもの次男として生まれました。12歳で川手家(のち赤沢に改姓)の養子になりました。その後、家族を次々に失うなどの苦難に遭い、自信も42歳のとき大病にかかり生死の境をさまよう体験をします。
 そのとき、新たに神と出会い、そこから独自の信仰生活がはじまりました。1859年(安政6年)、神(天地金乃神)の命により、人の願いを神に祈り、神の願いを人に語る”取次”をはじめ、後半生をそれに捧げ、1883年(明治16年)に70歳の生涯を閉じました。「金光大神」とは、神から授けられた神号です。
 教祖は、「人間はみな等しく神の子として、神を内に宿しており、その神を現すことで、人はみな生神となる」と説き、神の究極の願いは「万人が神を自らに現して、人と人とが助け合う世界の実現をはかることである」と教えています。現実の生に力点を置いたその教説は、幕末・維新期における混乱の中で、生きるよりどころを見失った人々の心を深くとらえました。

祈り
金光教の祈りは、人間からの一方的なものではなく、神様との対話です。ですから、祈りの内容は「お礼、お詫び、お願い」が大切といわれています。それは、今日ここに生きていることのお礼、自分勝手な生き方をしてきたことへのお詫び、そしてお願いをする、といった意味あいを持っています。

Q&A
入会金・寄付金は、いりますか?
金光教では、入会金や特別の義務を課せられるということはありません。また、神様へのお供えは、強制的なものでなく、めいめいの自発性に基づいてなされるものです。

儀式にはどのようなものがありますか?
毎月、月例祭が行われ、春と秋には、神様に対しての大祭と、先祖に対しての霊祭が行われます。そのほか、願い出により、冠婚葬祭に関わる各種の儀式や、安全祈願祭などを金光教式で行います。もちろん、だれでも願い出ることができます。

お札やお守りはありますか?
金光教には、お守りやお札はありません。金光教祖は、「信心する人は、常に守りを心にかけておれよ」と教えています。いつも神様とともにある、との信念を持つことに大切な意味があるのです。

参拝のできる時間はいつですか?
基本的にいつ参拝してもかまいません。教会によって多少違いますが、朝7時から夜8時くらいならいつでもいいでしょう。

一般社会に向けてどのような活動をしていますか?
金光教の教団本部や各教会では、一般社会に向けて大まかに次の活動を進めています。
災害援助・書籍類の点訳奉仕・宗教教誨活動・平和活動・国際協力・青少年育成・文化スポーツ教育活動

用語説明
金光教本部
本部は教祖立教の地である岡山県金光町に置かれ、本部に、本部広前や本部教庁などが置かれている。

本部広前
教祖生神金光大神取次の業が伝承われ、教主が常時神前に奉仕して結界取次に従うところであり、本教の広前であって、信奉者の願い礼場所、信心の稽古場所である。

本部教庁
金光教団の事務を執行する中央機関。

教会と教会広前
教会は、神願成就の拠点であり、教祖にはじまる生神金光大神取次によって、天地金乃神の願いである神と人とあいよかけよ出立ち行くあり方を世界に顕現するため、結界取次及び各種の活動を行い、教会広前は、信奉者の願い礼場所、信心の稽古場所である。
現在、日本国内と海外をあわせて約1600の教会がある。

金光教の信奉する神
金光教は、「天地金乃神 生神金光大神」を信奉する。

あいよかけよ(あいよかけよ)
相より相かかわるの意。金光教祖はこの語をもって、神と人との関わり合いを示した。人は神の願いを受け、真実な生き方を求めて立ち行くことになり、神もまた、人に真実な生き方により、その働きを十全に人の世に現すことができ、神みずからも助かるということをこの語は表現する。人間相互の関係に用いられる場合もある。

生神(いきがみ)
人間救済という神の願いと働きを世に現しつつ生きる人。人間としての助かりの理想像である。生神への道は、すべての人に開かれていると、金光教祖は説いた。

生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)
金光教祖が神から許された神号である。この語は、取次の業に従った金光大神その人を指すとともに、「生神金光大神取次」と称して、神からこの世に差し向けられた、神と人とを取り次ぐ働きをも意味する。

お試し(おためし)
信心が深められていく課程で、人が神から受ける試練をいう。伝承によると、金光教祖はたびたびお試しを受けたという。信者に対して金光教祖は、病気災難などを神からのお試しとして、積極的にそれと取り組むように説いた。

結界(けっかい)
神前に向かって右側に設けられた座。金光教祖はこの座にあって取次の業を行った。金光教の本部広前や各地の教会広前で、この形式は継承されて今日におよんでいる。

実意丁寧(じついていねい)
生活のあらゆる場面で、真実な思いを込め、人または物事に対し、行き届いて神の願いに応じる生活態度のこと。金光教祖はいかなる場合でもこの態度を貫いておかげを受け、その体験をもとに、人々に信心の基となるものとして説いた。

修行(しゅぎょう)
金光教祖が人々に促した信心の修行は「家業の業」「心行」という言葉に尽くされている。それは信心に基づき、心を整えつつ生活の営み万般を行う「行」である。このような行に対して、水垢離をとるなど、表に現れる行を表行といい、金光教祖はそれを戒めた。なお、神命により金光教祖は明治8年と同16年に百日修行の心行を行っている。

天地金乃神(てんちかねのかみ)
金光教奉斎神の神名。この神名は、金光教祖をもって開示された天地の神性を現したものであり、天地の間のすべてをつかさどる神の名である。

取次(とりつぎ)
人の願いを神に、神の思いを人に伝えて、神、人ともに、あいよかけよで助かっていく世界を顕現するための働きをいう。教祖生神金光大神によって始められたこの働きをする人を、取次者と呼ぶ。取次者は、本部広前及び各地の教会広前にあってこれを行う。

広前(ひろまえ)
一般には、神仏の前を敬って言う言葉。金光教祖は自宅の上の間の床に神をまつり、その前に座って参拝者を取り次いだ。神は、まつっているところにだけ鎮座しているのではなく、世界中が広前であると金光教祖は説いている。

天地書附(てんちかきつけ)
天地書附は、神と人との関わり、信心する者の姿勢が端的に表現されたものです。
 その内容には、「生神金光大神様の御取次をとおして天地金乃神様に一心に願いなさい。おかげは和賀心(和らぎ喜ぶ我が心)にあります。今月今日で(今日をかけがえのない日として)頼みなさい」と、私たちが信心して助かるためのあり方が示されています。
 明治6年(1873年)、国の宗教政策が大きく変わり、布教が困難を極める状況の中にあって、教祖は金光教の信心の本質を様式化し、この天地書附として示しました。

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